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  主宰・指揮の平松から、みなさまへのメッセージです。

U 最近の合唱について思うこと                                          <2003.2.1>


 
私の考える合唱とは、ベートーベンの第九の 「合唱」のような大合唱

ではない。せめて20人前後の訓練された歌い 手が、すべての

ジャンルの曲を歌い分けるという、小回りのき く合唱である。合唱と

いうと大人数ではないと満足しない人が多い が、合唱は人数さえ集まれば、

お金もかからず手軽にできる音楽である。しか しその反面、これ程

難しくて、奥の深い音楽はないと思っている。 音楽大学の声楽家では、

昔から合唱を軽視する傾向がある。大変残念な ことだ。一般的にも

合唱音楽はマイナーなイメージがある。それは なぜだろう。



よく「合唱臭い」という言葉を聞くことがあ る。それはいくつかの

要素がある。それはまず発声の面である。日本 人特有の響きの低く

重い暗い声が、ソロの要素の強い、のどを鳴ら す声作りをしてしまい、

ある作品(ジャンル)は対応できても、ほかの ジャンルに適応できず、

歌い方が同じになってしまう。つまり、ルネサ ンス期の宗教などの

ハーモニーはすぐれているが、邦人作品の表現 (言葉)やポピュラー作品

なども「合唱」という一種独特な色に染まって しまうことが多い。

また、技巧的な難曲でこれが合唱だと言わんば かりに、独断的に迫って

くるように思えるものもある。言葉(内容)は ほとんど理解できない。

歌というより、音響デザイン的要素が強く、聴 く側は「これが現代音楽

なのか、難曲を見事に歌ってすごい!」とは思 うが、心の底からの

感動が薄い。最近の中学・高校のコンクールで も、このような選曲が多く、

残念に思う。皆同じように聴こえてしまうの だ。技術的難曲の訓練も

よいが、この時期は、詩、歌の中から心を学ん でほしい。(続く)


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